築43年の在来工法住宅の営繕担当です
私が22歳の頃、父親が建ててくれた家に住んでおります。
新築して間もなく1987年12月に「千葉県東方沖地震」に見舞われ、壁が割れたり瓦が落ちたりと散々でした。
そして1990年のまたまた12月に、茂原市が竜巻に襲われ、色んな物が飛んできて、家のあっちこっちをガタガタにされました。
いずれもライフラインが止まり、夕方4時にカートリッジコンロで炊いたご飯を ロウソクの炎を頼りに食べて、寒いので布団に入っていた記憶があります。
12月なので夕方4時過ぎには暗くなります。
そのうち「ガス漏れが起きているかもしれないので、『火は使うな』と通報があり、ご飯も食べられない日がありました。
竜巻の時は被害を受けたエリアが狭かったので、災害の状況を知らない茂原市民がたくさんいました。
当時サラリーマンだった私は、会社に連絡するため公衆電話を探します。
住まいの近所は全部使えません。
そのため、茂原駅まで自転車で行って電話を使います。
その時の茂原駅の景色は、うららかな冬晴れで、ベビーカーを押した若いママさん達が平和に歩いていました。
「私は何をやっているのだろう!」
この景色と自分の家周辺の ”ゴジラが歩いた跡のような” 状況の違いに「夢」を観ているかのような感覚になりました。
普通に道路が使えれば、自転車で5分の距離です。
それが、この違い!!
駅からの帰りに遠回りをして、家内の実家で”おにぎりとお味噌汁”を作ってもらって自転車で帰ります。
我が家の近所までは普通に自転車が進むのですが、あと50mのところで杉の木が数本、道を塞ぐように倒れていて通れません。
お味噌汁を抱えて杉の木をまたいで家に持ち込み、また戻って自転車を頭の上に持ち上げて、杉の木をまたいで帰りました。
自転車を頭の上に担いで、杉の木を数本またぐのですよ…
忘れない記憶です。
あれから36年、100年住宅といわれている我が家も、水回りなどはさすがに修理が必要になってきました。
台所の水漏れです。
シンクの台も朽ちてます。
壁や床は私が張り替えたり、塗り替えたりしてきたのですが、水回りシンクの交換は自身がありません。
同級生の営む工務店でリフォーム工事をお願いしました。
そんな時に、”金髪の親父”が戦争をやってます。
ただでさえ物価高騰なのに、材料費の値上がりがとんでもないことに!
高市首相も言ってましたが、塗料のシンナーが無いらしいのです。
キッチン扉が作れないそうです。
なので在庫にある「色」の製品で妥協します。
なにしろ「こちとら水漏れしているので」!!!
台所が朽ちてきた事を承知していながら、先送りにしてきたため、とうとう水漏れで”緊急オペ”です。
結局、予算オーバーです。
水漏れしてから慌てて工事をするのではなく、「そろそろ台所も直さないと」と余裕を持ってコロナ前に工事をしておけばよかったと後悔しております。
早く世界がおちつきますように。
画像は「忙しい職人さんが来れる日までに、川崎さんが自分でクッションフロアを剥がしておいてくれたら、当日の作業が捗るよ」
と工務店に言われ、剥がし始めたけど「挫けた」の絵です。
でも、全部自分で剥がしたけどね( `ー´)ノ


