たかが20年
おっさんから親父へ、そしていずれジジイになっていく自分に年齢相応の身のこなしといいますか、適当に筆が立つという印象を付けていただきたいと考え、将来を見越して50歳から書道を学びはじめました。
最近、 書道は集中力ではないと感じて来ました。
今までお客様、患者様の途絶えた時間帯を使いお書道の練習をしておりました。
改めて2時間ほどの時間を準備して集中して手に汗握っていたのです。
しかしおかげさまで楽楽屋のご利用者様に恵まれて、改めて2時間という時間があまり作れなくなってしまい、業務の合間合間に筆を持つような感じになってまいりました。
やってみると、さすがにお客様を施術した直後に筆を持って集中しろと言われても、そんなに簡単に頭のスイッチを切り替えることは私にはまだできません。
ただ出来ないなりにそのような条件の中で練習するしかないのです。
そして何となく気付いてきたのです。
集中力というよりも強いて言うなら、さらりと立ち回る精神力。
そして雑踏の中で人々の前で書ける平常心!
書き続ける事で、学び続ける事で、その部分が養えるとしたら、すごい種目です。
「慣れ」だけなのでしょうか!
出来る人は「慣れ」だけよりも、もっと強い何かの力があるように思うのですが。
それが出来るようになるといいですね。
楽楽屋では一人で施術を受ける事が不安な方に、同行者がそばで見守っているようにお薦めしています。
お子さんであれば親御さんとか、配偶者さんとかです。
その人達の前で施術を見せます。
親御さんの前で小学生の頸椎を「ゴキッ」と矯正します。
そして説明します。
とても大切な「世間話」はかかせません(笑
若いころにはとてもできなかった芸当です。
しかしその場面で「世間話」などの立ち回りが出来ないでいると、見守っている親御さんが安心した表情を浮かべないのです。
信頼感が芽生えません。
私の手技療法の師匠は、患者様の腰椎の矯正時に(患者様に横向きに寝て頂き、骨盤から下と胸の三角筋辺りを把持して身体をよじる技法) 間合いと角度を正確に合わせた上で「いよっ」と掛け声を発し(ゴキッ)と矯正をしておりました。
職人さんですね。
私の友人の左官屋さん(左官歴47年)は、屋根にハシゴを掛けて昇るのですが、在来工法の旧家のため1階といえど屋根が高くとても気を付けないと危険な環境の中、靴のかかとをふんずけたまま、両手いっぱいに材料と左官板とコテなどたくさん持ったまま、平らな道を歩くようにハシゴを昇っていっちゃいます。
私が通う茂原の歯医者さんの大先生は、御年91歳で現役でございまして、患者さんの口に麻酔の注射をしている最中に別の患者さんの方を向いて、無駄話を平気でしておりました(汗
そして書道の師匠は、課題として、※次の10文字を行書体で書きなさい。とデジタル的な活字で印刷された指令の10文字を「半紙」に均等にバランス良く行書で書いてしまうじゃありませんか。
しかも店内に他のお客様がいたり、書いている姿を数人のギャラリーが見ていたり、「宅急便がなかなか来ないわね~」などと全然違うことを話していたり、しながらですよ。
この人たちの持つ技量は、たまたま私が目にしたこれらの場面以外にも平気で人を驚かす様な力がもっともっとあるに違いないわけで、そう考えると「見てみたい」衝動でこの人たちに魅力を感じさせられてしまい、引き付けられてしまうのです。
別にそこまで考えてやってきたわけではなくて、”やってきたらそうなっていた” なのですねきっと。
かっこいいです。
そして自分もそうなりたいといつも考えております。
勿論、時間と経験ですね。
自分の業務だけでなく、お書道の世界の中にも応用力があるのではないかと模索しております。
右の画像は昨年から越冬して初夏ごろまで楽しませてくれたパクチー(コリアンダー)の種です。
越冬したのできっと丈夫な奴だと思います。
また来年に向けてそろそろ蒔いてみましょう。
“蒔かぬ種は生えぬ” ですね!