今だ、終わらぬ復興

8年前に東京オリンピック・パラリンピックが東京開催で招致されたニュースを見た時に、開催する年は「私はえ~と58歳か~、随分先の話だな~」と絵空事のように思っておりました。

絵空事というのは、大きな災害が日本を襲って間もなくのニュースであったため「出来るわけね~じゃん」と思っていたからです。

そして大きな災害の復興のさなか、競技大会組織委員会が設置され、会場の建設がはじまりました。

戦争を知らない私達ですが、戦後の復興から意気揚々と東京オリンピックを開催成功させた1964年の第1回目とは、意味が違うと思いますが、復興からの東京大会開催という上では同じなのかな!

報道は浮かれてます、良い面しか私達に見せません。


2013年に福島県から移住してきた方が、自律神経の整体施術でお越しになりました。

千葉では暮らせない「ある意味言葉が通じないんです」と困っておりました。

会津訛りに自身がなく小さい声になってしまう、それを聞き取りにくかった相手の人が「え~?」と大きい声で聞き返してくる。

するともう喋れなくなるそうです。

出歩けず、頭痛と腰痛が悪化しています。

私はただ聞き入れてあげるだけではなく、背中を押してあげるのですが、本人は力が入らないのです。

もう1名、福島県から移住して来て、現在千葉市緑区に新居を建てられたという男性がお越しになっています。

福島県では自営業の職人さんでした。

元気に立ち振る舞う方なのですが、手足のしびれがずっと続いていて長距離の運転が辛いとのことです。

千葉に転居されて職人さんを辞めて運転手さんになったのかな?と思い、お話を聞いていると、毎週福島まで往復しているそうなのです。

こっち(千葉県)では誰に仕事をもらえるかわからないから、家族をこっちに置いて自分は福島県の仕事仲間を頼って向こうにアパートを借りているとのことです。

そして、アパートから職場までの通勤路では、いまだ放射線量の多いエリアを通るそうです。

それから6年、ずっと福島県と千葉県の往復をしていて、現在は福島県の「浜通り」という地区に少しづつ人が帰ってきているから、その人たちが住めるように家を造っているそうなのです。

私なんぞ足元にも及ばない苦労と努力をされています。

東京オリンピック・パラリンピックによる大渋滞が、彼らの通行の妨げにならないといいですね。

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